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12/29(Mon)

2008年吹き納め

beetho
峻烈を極めた週末だった。ファンタジー、交響曲のセットをリハーサルも含め日に3度通すとは。
最後のPrestissimoにおいては、まるで各人の持てる力を振り絞り、溶けた熱い鉄が、歴史という金型に火花を散らし乍ら象られて行く。そのような大きな感動を感じた。
指揮の両肩にかかる責任と、交響曲を振る難しさは自分でも体験をしたことがあるだけに良く判っている。それだけに、今回監督も良くこれに粉骨砕身され尽くされてきた。多少の事故はあったものの、これだけの年の瀬の演技の後、疲労困憊の我々の身体に美酒は沁み入り、潤してくれた。
普段はそれぞれの楽団やアンサンブルで演奏している各人、力の限りの音の共演。素晴らしい舞台だった。監督もこれを誇って良いと思う。この国で歌劇場専属の管弦楽団はここが初めてではないのか。
そして、翌日、28日はP・・・。まだ、楽器を吹くのかね?と言われそうだが、94のトップのみを吹いて、本年の吹き納めとなった。普段能面のような人々で溢れる大東京の雑踏も週末には楽器ケースをもった人々を良く見かける。だが、流石に昨日28日は皆帰省や旅行に出かけたのか、そのような人は少なかったな。
本日29日の夜行で俺は郷里へと帰省する。従い、本日分がBlog with Joe、2008年、納めの投稿となる。来年、2009年は俺がBBSWJから始まりInternetに日々を書き綴り始めて10年の節目となる年である。その10年来行ってきた、一年の回顧を本日此処に行いたい。以下は2007年12月31日付の原稿である。

本日のフライトで郷里へと帰る。
毎年の恒例だが一年前の自分譚を顧み今の自分と比較してみたい。BBS時代と比べ、Blogはタイムトラベルがとてもし易いね。
「光り輝く2007年でありたい。そして、幸せな1年であらんことを。自分の旗を振り、自分の歌を大声で歌い。大きく手を振って歩む一年であらんことを。様々なことに疲れ果てるまま、終わる2006年だ。音楽という事実に従い、来年は生きてゆきたい。だが、2007年末。一年後の今頃果たして俺は生きているのだろうか。」 (2006年12月30日)
2007年はP大編成管弦楽団という新天地が加わったものの、仕事面においては、本当に苦しい一年だった。
リヒャルトが遺した世界の奪還から始まり、博士との再会の作品を携え、聖地への巡礼へと旅たった。
博士縁の地、ハンガリー。ブダペーシュトの人達は立錐の余地も無い程までに私達の為に集まってくれ狭隘の中、心からの拍手を頂いた。夏の夜に響く、幻想的なツィンバロンは忘れられない。猛暑の中、博士の栄華の地、ヴィーンへと向かった。
そして、そこで見、感じたものは、俺にとっては音楽の都というイメージより、寧ろ新興ブルジョアジーの栄華の継承と、ハプスブルク家の悲哀。音楽面のみならず、万人の心に形而上的に今も存在している分離派の面影だった。リングシュトラッセは栄華であり、宝石だ。しかし、今様の言い方をするならば、分離派の息吹はレアメタルといったところか。クリムトの世界にそれは窺える。博士が、歩み、芸術を燃やした地において、長年の夢であった交響曲2番を演奏できたことは本当に誉れであった。
博士のご自宅を訪問することも出来、氏が暮らした建物で食事をとる事も出来た。ヴィーンの別れの場所は博士の自宅だった。
Mにおいても、パートに動きがあり新たな同胞が加わった。半世紀というオーケストラの荘厳の一部を微力ながら担えたことも深い想い出になっていった。
 そして、再びの久闊を覚悟していた博士の作品の演奏に、他団体からエキストラとして招聘されたことは歓喜の極みだった。ご厚意に深く感謝すると同時に、これまで夢見、そして追いかけてきた博士の作品がにわかに、博士の作品側から俺を訪ねて頂いた事に、深い感激を感じずにはいられない。音楽においても、仕事においても険しい道のりの一年間だったが、マックウィーンの言葉のように、未だ俺は生きている。

生きている。

そう

「おお、信じるのだ。お前は決して訳なくして生まれてきたのではない・・・。」

この博士の書いた言葉を思いつつ、2008年という年の音楽には、命と魂を込めた音楽を作って生きたいと思う。しかし、その道のりは更に峻烈であり私達は博士の作品の前に博士と同時代を生きた聖職者の大浄土世界を演じることとなろう。甲冑のコラールを生み出すことに向け、I先生からの真剣白刃の修行も重ねられていくことだろう。
想いを捨てて生きてはゆけない。

この一年間、この稚拙なBWJをご覧くださり、そして応援のお便りを頂いた方々全てに、本年の納めの今、深く御礼申し上げたい。ありがとうございました。皆様にとっても幸多き、新年とならんことを祈りつつ、本年をこの一句をして納めたい。この句が辞世の句とならぬよう。来る年を生きるしかない。

良き新年を。
袂引く
過ぎし夏の香偲ばれど。
迦楼羅の翼に委ねん我が音  

以上である。

仕事では苦しい一年間だった。支持率の急落の首相閣下殿も、全治三年の景気と仰り、その中で我々は呻吟している。本春からは米SOX法に則った日本SOX法、内部統制化も厳格化されたが、米国が敷いた厳格レールの上を走らされながら、その同じ米国市場で起爆したサブプライムローン問題が発端となり、世界金融が一時麻痺状態となり、景気も悪化。年末は冷たいデフレの兆しを見せながらこれを閉じることとなる。ああ、仕事と暮らしぶりは暗鬱なまま、この年を閉じるのだな。

音楽面では歌劇との出会い、そして実演は大きかった。唄の為に黒子に徹すること。あの春のカルメンのスタッフ達による歓喜のフレーズで本年を締めくくることが出来たことは幸せだった。またMのツアーもD先生のD法の教授により何とか全Topを傷だらけになりながら吹いた。

「吹かせて貰っても良いかい?うん!良い楽器だ。」大切にね。帝王の臣下により息とそして勇猛心を吹きいれていただいた楽器は来年早々から大活躍してくれる。


どうか、この駄文、稚拙なサイトであるが来年もよろしくお付き合い頂きたい。来年は、本当に一年とは早いと思うが再び、欧州へのツアーがある。今年の、水泳北島選手の奇跡のように人間の精神と集中力の力強さ、そして喜びを信じたい。

星霜の欠片拾いし我等にて
それ、咲かせなむ蘭の蒼穹



皆様にとって、来年2009年が素晴らしい一年となります様。




 

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