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10/24(Sat)
回復にむけて
身体の状況で、ついていない事ばかり立て続いている。腕を怪我してしまったし、何より唇の障害に苛まれている。特に下唇の皮が荒れた状況とその周辺筋肉が硬化してしまった感が長くあり、只管に無間地獄に陥る状況が続いている。皮肉としか言いようが無い。大編成に憧れ、オーディション対策や経験を積んでいた時はこんな身体的な状況は無かった。やっとこれからだと言う時に、ヨーロッパツアーも11日の舞台ももったいないことをした。
自分でも今兎に角、息をたっぷり取り入れ、中低音の音をより豊かに鳴らすよう心がけている。 どこかのサイトでこういう時にバケットミュート、もしくはハーマンミュートでの練習が効果的とあった。 『ハーマンミュートは、唇が十分に振動していないと、あのハーマン独特の「チー」という音は出ません。「チー」という音が鳴るように音量と音域を調整しながら音階などをやります。 ハーマンミュートを使う場合は、なるべく「チー」というハーマン独特の音が出やすいものを使った方がいいです。』とある。 ハーマンと言うのはブランドネームだが、あのミュートは、昨年Mでの東北公演でラプソディーインブルーのソロを吹く際、D先生のレッスンを受け、バブルミュートを薦められた。今思えば買っておいて良かった。 毎日息と、兎に角リラックスした状況で管に息を送り込むよう心がけている。だから、間違った姿勢ではないものの、居間など、リラックスした場所でバ練習を行っている。このバブル。はめて練習を行うと然程ご近所迷惑にもならないようだ。焦りは禁物。 10/18(Sun)
疲弊
暫くぶりの投稿となるが、先週、3連休でのPの本番と歌劇の本番ですっかり疲弊してしまった。唄うこと、楽しむ事よりも、自分自身の奏法の基礎的な所から煮詰めなければならない、重篤な事態となっている。その中での本番だった。この土日はゆっくりと休息。しかし、音楽を楽しむ事自体が、自分のリハビリの歩みに比例している状況。焦っては禁物。煮詰めていくしかない。
09/19(Sat)
10年
1 Reply test Joe 1999/09/19 11:54
これはテストです。 本日は晴天なり、いや、冗談じゃなくて本当に今日はマンハッタンは晴天だった。 Floydハリケーンのせいで全く酷い週だったが、それが嘘のように 晴れ渡り、涼しい風が吹いていた。 BBS そして Blogと時に日を開けながらも、日々書き連ねてきたネット日記であるが、上記が自分のBBS上での始めての投稿だった。その後、2001年9月11日。炎上するビルを、ホームページの素材にすると言い白い歯を見せながらデジタルカメラで撮影していた日本人観光客について書いた所、日本の知人からメールを頂いた。「投稿を読み、しばし呆然となると同時に涙を禁じえなかった。人の痛みを理解することの出来ない人達。どうかこれからもNYの町の様子を書いて下さい。」その希望に応えるつもりと、そうした日々の記録のために、始めた日記であったが、生活と音楽の場はその後NYから日本に移り、気がつくともう10年の星霜を迎えていた。 フロイトハリケーンが来た時、真っ只中に仕事で、メリーランドへと車を走らせていた。 あれから10年。様様な事が有った。 09/12(Sat)
Mozart!
たまたまWQXRを聴いていたらアーノンクールのジュピターがかかっていた。終楽章だったがまるで
ベートーヴェン。やや転がりがちな所はあるものの、打楽器と弦楽器の音威が凄まじい。また、引く所は優雅に引き美しさを醸し出している。終盤のホルン等一部博士的な所があり、最早チェンバーという枡を突き破らんとする風林火山のようなジュピターだった。こういうCDに限ってセット販売だったりする。3枚組。ジュピターは日・米両国で1回ずつ乗ったことがあるが、このような出来は理想の境地だろう。買おうかな・・・。 09/11(Fri)
町の灯
先日、元NY支店で同じ時期に勤めていた方とお会いした。「明日からNYなのだよと。」会計監査らしい。懐かしい、2002年にNYを去ってからもう実に7年になる。もう米国に駐在した期間を上回った。そう、あの日も会計監査だった。化学品の会計監査が9月10日。俺の担当だった繊維が翌日に予定されていたが、その日、会社だけでなく、会社が入っているビルディングテナントが全てビルからの退避命令を出された。仕事は何一つとして出来ておらず、社長の英断で監査役のホテルを延泊した。テロによる脅威で急遽帰国組が殺到し、足止めを食らうからだった。
俺が、日本へ帰任する際、飛行機は残酷なルートを通る。飛行機はJFKを離陸後旋回してカナダに抜けるため、マンハッタン上空を通りこれらの想い出の場所を眼下に私達は去ることになった。住み慣れた町々、我が家だったビル。オケ練習会場としていた所。本番の教会。NYP。挙式を上げた世界一のカリヨンの有る大聖堂。勤め先のビル。そして何よりも、半旗を掲げながらこれから、街をもう一度再建してゆこうという彼らの人としての強さと復興への応援。その時その場を彼らと共有できないことが歯痒かった。全てがジワリ、ジワリと雲の陰に隠れていった。僕達は頑張ってまた元気なNYを作り上げるよ。。。その声が雲の向こうに遠く消えていった時に、俺は機内で胸を締め付けられる想いだった。 「2001年.あの日から、8年も経過してしまったんだね。」 しみじみと言われた。当時テロの後、現地でオフィスのエレベーターに乗っていると一人の紳士が恐らく今回のテロで大切な方を亡くされただろうか。私を日本人と看破し論じてきた。 「ドイツは謝った。だが、日本人と言う国民は大戦に関して、謝意を表明することは無い。」 傷ついた人に返す言葉でその人の感情を抉るのも詮無きこと。 俺は、当時その日マネス音楽院の定時制の説明会にワールドトレードセンターマリオットに行く予定だったが学校説明会は中止どころか建物が夕刻崩壊した。 街には灯という灯が溢れた。悲しみの灯、まだ助かるかもという希望をつなぐ灯、鎮魂の灯、遺された方々の愛の灯。何百、何千という数の魂の灯。当時の妻の友人のご主人が今もあの地に眠っている。不惑となったが、この祈りだけは忘れてはならない。この余生、この命があり続ける限り。黙祷を。
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